本能寺の変
出典:https://matome.naver.jp/

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こんにちは、オタ助です。

今日は戦国史上、最大のミステリーである、

「本能寺の変黒幕

について、私なりの解釈を交えながらわかりやすく解説していきたいと思います。

本能寺の変の黒幕に関しては、諸説飛び交い何が真実なのかさえちょっとわからないですよね。

  • 光秀個人による怨恨説(または突発説)
  • 四国長宗我部陰謀説
  • 朝廷説(公家の暗躍)

など、いろいろな説がありますが、どれも決定打に欠け有力な情報と言うには些か淋しいのが実情です。

そもそもの話、この情報の少なさ自体が解せません。たかだか400年前の史実に関して、これほどまでに情報が錯綜し、暗礁に乗り上げてしまうのは不自然ですよね。このことからも時の知恵者が意図的に事実を消し去っている可能性があるのでは?と考えられます。

ノブナガッタノハ誰ダ?

気になりますよね。

私は秀吉に仕えたあの「名参謀」による謀略だと思ってます。

そうです。羽柴軍勢の名軍師として名高い竹中半兵衛と五分の才能を持つと言われる

「黒田官兵衛(黒田如水)」です。

彼こそが明智光秀を唆し(そそのかし)歴史を塗り替えた張本人であると考えます。

もともと軍略にも政治的手腕にも長けていた官兵衛ですが、竹中半兵衛の没後その才能を更に開花させ、秀吉もその才能を高く評価し、愛したと言われています。秀吉は官兵衛を頼りにし、官兵衛の言うことには殊更(ことさら)耳を傾けたそうです。

竹中半兵衛はその大いなる才能を存分に振るう前に、36歳という若さで肺結核により亡くなります。その死にショックを受けた秀吉は、半兵衛と共に「両兵衛」と称された官兵衛を頼りにしていくことになります。才能ある軍略家を傍においておくことは戦国大名にとって、とても大事なことなんです。

 

もしかしたら秀吉さえも官兵衛に唆され「信長殺し」に一枚噛んでいたのかもしれません。事実、秀吉は後に天下人への階段を駆け上がっていきましたからね。

歴史に「もし」はありませんが、敢えて「もし」本能寺の変が未遂に終わっていれば現代における日本の姿も変わっていた可能性があります。極端に考えれば「東京」がこれほどの世界有数の都市になることもなかったでしょう。それほどの歴史的事件なんですよ。


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まず「本能寺の変」を超カンタンに…。

本能寺の変って、たしか偉い人が裏切られて死んじゃうヤツよね?

 

はい。だいたい合ってます。日の本統一、戦国の覇者となるまであともう一歩(と言いますか、戦国最強と謳われていた「武田軍」を打ち破った時点で、すでに覇者であったと言っても良いのでしょう。)だった織田信長が家臣の明智光秀の謀反によって散った事件ですね。

本能寺の変(ほんのうじのへん)とは、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件である。

信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。

wikipedia

信長に付き従う人数は30名。それに対し明智軍は13000。結果は火を見るより明らかだったんですね。

謀反の一報を聞いた信長はすべてを悟り「是非に及ばず」と一言。

これは「確認する必要はねぇ。わかっちょる。」という意味です。志半ばで散ることになった信長自身、光秀が裏切ったという事実に心当たりがあったのかもしれませんね。

「光秀は信長にムカついてる。」「信長もなんとなく気づいてる。」

そんな背景を巧みに操り、光秀に謀反を実行させたのが「黒田官兵衛」だったのではないか?というのが今回の推論になっているわけです。

歴史の黒幕は秀吉の片腕「黒田官兵衛」なのか?

官兵衛

出典:歴史の読み物

さて、イントロダクションがやや長くなってしまいましたが、いよいよ本題に入っていきましょう。

黒幕は官兵衛なのか?

私がそう思う理由を解説していきたいと思います。

本能寺の変が発生したのは前述の引用通り天正10年(1582年)6月2日の未明です。この時秀吉と官兵衛は信長の命を受け、中国地方の大大名である毛利氏攻略のため備中高松城を攻めている真っ只中でした。

そんな中「信長死す」の知らせを受け、大号泣する秀吉に官兵衛はそっと寄り添い一言。

「主君セシ乱臣明智ボシ、天下権柄ウベキ。

※権柄(けんぺい):人を支配する権力、政治の実権

「まじラッキーっす。天下が転がり込んできましたよ。」

ってことです。

まさに「人の不幸は蜜の味」です。

もちろんその言葉に秀吉も一瞬は驚いたと思います。しかし満更でもなかったことでしょう。時は乱世です。こんなチャンスは一生で一度あるか無いかということは、秀吉自身もよくわかっていたからです。ましてや、秀吉の根本にある目的・想いは「立身出世」。つまり「成り上がり」です。

「天下人になる…。」この国で身を立てる上で、これ以上の成り上がりは存在しないですよね。秀吉にとっては、まさにビッグチャンスだったんです。

つまり官兵衛のこの一言から「秀吉の天下取り」が幕を開けるわけです。黒田官兵衛おそるべし…。

 

さて、その官兵衛ですが、とっさに何の考えもなく浅はかなことを口にする人物であれば、後世に名は残りません。

後世にその名を残す名軍師が、事前準備がまったくない状態で主君に向かってこんなことを進言出来るでしょうか?出来ないはずです。というより「するはずない」ですよね。

「まじラッキーっす。天下が転がり込んできましたよ。」を言い換えれば「天下獲れるなう。オレちゃんと準備しておいたの。うふふっ」ってことなんです。

そもそも秀吉が「信長死す」の一報を受け取ったのは本能寺の変の翌日6月3日とされています。本能寺がある京都から備中高松城まで直線距離で200kmですよ。いくら何でも早すぎませんか?電話やLINEがあるわけじゃないですし。

ということは。

官兵衛が「光秀のハゲ野郎が成功しても失敗しても、すぐ知らせろよ」って指示していたのでは?と考えられませんか?官兵衛は光秀の動きを監視していたんじゃないですかね。

じゃなきゃ、秀吉が柴田勝家や丹羽長秀を出し抜いて、京に一番乗りして光秀討伐なんて出来るわけないんです。

そしてもうひとつ。

毛利との和睦も早すぎます。官兵衛は毛利方の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)と和睦交渉を取りまとめたとされています。その和睦交渉にかかった日数はわずか1日です。昨日までドンパチやってた相手とそんなカンタンに仲直り出来ますか?話の落としどころを決めていたとしても。

官兵衛の交渉術の高さを指摘する声もありますが、私の考えは違います。

官兵衛は、事前に安国寺恵瓊を通じて毛利方と和睦の話を進めていたんじゃないですか?「本能寺のシナリオ」は伏せながら。

事実、後の豊臣の世において、毛利方の毛利輝元と小早川隆景は徳川家康らと共に「五大老」という最高位の職に就いています。官兵衛側と毛利方にズブズブの癒着があったと考えるほうが自然です。

 

官兵衛は誰よりも先を見通し、乱世をすでに「詰んでいた」のでしょう。

 

 


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官兵衛にはノブナガを討つ動機があった!?

信長配下の武将、荒木村重が謀反を起こした際、官兵衛は村重を翻意させるべく村重の居城有岡城に単身乗り込みますが、必死の説得も叶わず村重によって有岡城の土牢に幽閉されてしまいます。

幸い1年後に村重の妻「だし」や官兵衛の部下たちによって救出されますが、一年もの間音信不通だった官兵衛を「裏切り者」と勘違いした信長は激怒し、人質にとっていた官兵衛の息子「松寿丸(後の長政)」を殺そうとします。竹中半兵衛の機転により松寿丸は一命を取り留めることになりますが、後に事の顛末を聞いた官兵衛は信長を酷く恨むようになります。

本能寺の動機としては十分です。

そりゃそうですよね。「あんたのために有岡城行ったんだよ!」って話ですから。

※官兵衛が救出されたときには、竹中半兵衛はすでにこの世に無く、松寿救出のお礼を直接言うことが出来なかったんです。そんな言いようのない感情も信長謀殺へ拍車をかけたのでは?と考えます。

 

〜余談「だし」について〜

官兵衛を救出した「だし」さん。非常にめずらしいお名前ですが、「だし」というのはキリスト教の洗礼名「Daxi」に由来するんです。官兵衛も後にキリシタンとなりますから深い繋がりがあったと考えられてます。

「だし」は「いまやうきひ(今楊貴妃)」と評されるほどの絶世の美女であったと言われています。だしは信長軍に捕らえられ京の六条河原で処刑されるのですが、そのときの様子が『信長公記』にこう記されています。「護送の車より降りた後、帯を締め直し、髪を高く結い直し、小袖の襟を開いて、従容と首を差し出した。」

うーん。「だし」さんは美しいだけではなく、誇り高き聡明な女性だったんですね。

 

ジツは秀吉自身も一枚噛んだか?

「この人について行っても、先は無いんじゃないかしら?」

「人たらし」で有名な秀吉は、恐怖心によって家臣を従える信長の常軌を逸したやりかたに少なからず疑問を持っていたはずです。

ましてや、一族の重用が顕著になっていた天正9年、10年あたりは、自分はもちろん古参の将たちも「いずれ使い捨てにされるのでは?」という不安に苛まれていたのではないでしょうか。

顔や口には出さずとも「この人ではダメだ。」「オレはもっとうまくやれる。」と秀吉が官兵衛らを使い、信長謀殺を企てたとしても何ら不思議ではありません。

本能寺の変の黒幕 まとめ

あまりにも主観が入りすぎましたが、いかがでしたか?

「うんうん。」と頷けるところも多少はあったのではないでしょうか?

戦国史上最大のミステリー「本能寺の変」

やはり私は「黒田官兵衛黒幕説」で行きたいと思ってます。おそらく「信長を討つ」ということだけでしたら、明智でも長宗我部でも、それこそ滝川や柴田、丹羽でも実行可能だったはずですが、着地点まで見通すことが出来たのは官兵衛だけだったのではないでしょうか?

こういう歴史のミステリーは考えれば考えるほどわからなくなりますし、ドキドキしてきますよね。

あなたの見解はどういうものですか?

ではまた^^

 

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